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SKB命題の反証

「精神的に向上心の無い者は馬鹿だ」という記述を反証するためには、「精神的に向上心が無いけれども馬鹿でもない」という反例を1つ挙げれば事足りる。反証してしまえば「精神的に向上心の無い者は馬鹿だ」という記述自体が偽なので、それ以上取り合う必要が無くなる。 きちんと反証するためにはやはり個々の用語を正確に定義する必要があるのだが、先生とKは別に法廷で争っているわけではないので、先生がたじろぐ程度の反例であれば十分だろう。 Kは仏教の文脈の中で生きる人なので、日本仏教から題材を見出すのがよいだろう。浄土教には妙好人という言葉がある。これは在俗でありながら仏教的な悟りの境地に達した者を指す言葉である。別に特別な修行をしているわけでなくごく普通に暮らしているだけなので、少なくともKがやっているような感じで精神的に向上心があるとはいえない。しかしその一方で仏教的には最高の叡智に到達しているのだから、決して馬鹿でもない。 せっかくKの実家は真宗の寺だったのだから、このような反例を挙げれば心置きなくお嬢さんに求婚することもできたわけだが、あいにくKは悟っていなかったので、精神的に向上心のある馬鹿になってしまった。たとえ立派な他人を引き合いに出しても本人がそんな感じだから説得力が無い。

SKB命題における用語の定義

「精神的に向上心の無い者は馬鹿だ」と言われたときにまずすべきことは、言葉の意味を理解することである。日常生活の言葉というのは往々にして話す人がわかったつもりになりながら使うものなので、一見尤もらしく聞こえてもよく考えてみると意味不明なものが多い。 まず「精神的に向上心がある」とはどういう意味なのか。向上というときに具体的に何がどう向上するのか。そして、精神的に向上心があるかどうかの判断基準は何なのか。そもそも精神的に向上心があるかどうかというのは本人の気持ちの問題のように見えるが、他人が勝手に判断できるものなのか。 次に「馬鹿だ」とはどういう意味なのか。何らかのネガティブな印象を投げかける言葉であることまでは容易に見て取れるが、しかし具体的にどのような状態を指す言葉であり、そう言われることが誰にどのような影響をもたらすのかとなるとわかったようでいてよくわからない。国語的には知力・思考力等が著しく劣る状態を指すようだが、それの一体何が問題なのだろう。知力・思考力が劣るというのは1つの状態に過ぎず、それが個人レベルでの具体的なメリットデメリットとなって表れて初めてその人にとって都合の良いものなのか都合の悪いものなのか判断する余地が生じる。世の中には馬鹿でも幸せな人などいくらでもいるし、賢くても不幸な人だっていくらでもいる。自身にとって明確なデメリットが存在しない限り、「馬鹿だって別にいいじゃん」と言う余地はある。 Kが結果的に命を落としたのは、用語に関する初歩的な検証を怠り、自分で作った観念の中で勝手な価値判断をしたためである。おそらくKの理解は「女性に興味がある⇒精神的に向上心が無い⇒馬鹿だ⇒自分に価値が無い」ということなのだろうが、それが尤もらしく受け入れられたということは、裏返せば近代文学の想定した人間というのは、用語の意味が容易に共有できるほど単純かつ狭い世界で生きており、しかも各種の決めつけに満ちた世界で生きていた底の浅い人間達だったのかもしれない。21世紀の感覚では理解に苦しみところがあるが、20世紀初頭というのはきっとそういう時代だったのだろう。 強いて言えば、「女性に興味がある⇒…⇒自分に価値が無い」というのは、自身がBLキャラであることを意識した場合には成り立つロジックである。BL的には先生とKとが共に同性愛者でなければ盛り上がりようが