最近は大抵の手続きがネット上で行われるようになった結果、その手の処理に馴染めない人は社会生活に支障するようになっている。生活に必要なことが自力でできないからといって死ねというわけにもいかないので、結局誰かが手助けせざるを得なくなる。これがIT介護である。個人においては親族が、企業においては情報システム部門のエンドユーザーサポート部門がIT介護の任に当たっている。 ITに限らず介護というのは大変な仕事で、ただでさえそれ自体が直接付加価値を生む仕事でないうえ、終わりの見えない仕事なので、体力もさることながら精神的にもきつい。だから情報システム部門のエンドユーザーサポート担当のIT技術者は一人また一人と辞めていき、その都度企業は優秀なIT技術者を失うことになる。 IT介護が精神的にきつい理由はいろいろありそうだが、とりわけ言葉が通じないのがつらい。単に知識がないだけなら説明すれば済むことで、それはさほど難しくない。 「○○をやろうとしたが先へ進めない」 「何をどこまでやって、どのような問題が生じましたか?」 「○○を入れたがそこで止まる」 「止まるとは具体的にどのような状態ですか?」 「止まる」「できない」 「パスワードを入れてもログインできない」 「半角文字と全角文字を区別して正確に入力していますか?」 「わからない」 いざ現物を見てみると、別にどうということもなかったりするので、その場で操作すればすぐに解決したりする。そのため画面コピーを送ってほしいとお願いしても、音沙汰がなかったりする。 自分が見たことややったことを正確で言葉で描写することは簡単なことではないが、それでも情報が伝わらないので問題解決のための手がかりが得られない。問題解決のためには問題の切り分けが必要なのだが、言葉の解像度が低いと問題を切り分けられない。 問題を切り分けられなければ解決できないので、どのような問題が起きてそれに対してどのように解決したかについての知見が蓄積しないので、いつまで経っても知見が増えないままである。国語力が欠如しているから学習できなくて、それがITにおいてはITリテラシーの欠如として表れるのだが、国語力の欠如による学習能力の欠如は汎用的な問題なのでおそらく他の分野のリテラシーも欠如しているのではないか。 しかし他の分野ではもう少し冗長性があるのでその問題が顕在化しにくいのかも