この季節になると子供の間では「サンタクロースはいる」とか「いない」といった話になるようである。しかも子供が成長するにつれて、「サンタクロースはいない」派が優勢になるようだ。しかし一般に存在しないことの証明は「悪魔の証明」と呼ばれるように、極めて困難だったり時には不可能だったりするものであり、「存在しない」ということをそう軽々しく言えるものではない。「存在しない」ということを証明するためには、ありとあらゆる可能性を想定し、そのどの可能性のもとでも存在しないことを立証しなければならないためである。 そもそも存在するとかしないとか言う以前に、存在の有無を検証すべき対象である「サンタクロース」なる人物がきちんと定義されていないように見受けられる。 例えば、サンタクロースを「クリスマスイブの夜にプレゼントをくれる人」と定義すれば、クリスマスイブの夜にプレゼントをもらえる人がいる限りサンタクロースは存在することになる。いわば、「恋人はサンタクロース」型の定義である。クリスマスイブの夜にプレゼントをもらえる子供ないし大人が世界中にいる以上、こちらの定義のもとではサンタクロースが存在するか否かは論争の対象にすらならない。 一方、サンタクロースをある特定の人格ないし肉体を持つ個人とした場合、自分がサンタクロースを認識しないということと、サンタクロースが存在しないということは全く異なる。自分の認識の内側にサンタクロースが存在しなくても、自分の認識の外側にサンタクロースが存在する可能性が排除されていないからである。クリスマスイブの夜にプレゼントをくれるのがたとえサンタクロースではなく親であるとしても、それはサンタクロースの存在を否定する証拠にはならない。もしかしたらサンタクロースは人前に出ないで一人でひっそりと生きているのかもしれない。宇宙の隅から隅までくまなく探しまわってそれでも見つからなかったときに初めて「サンタクロースは存在しない」といえるのだが、人類は未だに宇宙の果てはおろか地球の中心部にすら到達していないのだから、現時点で言えるのは「サンタクロースが存在する可能性を排除できない」ということまでである。 サンタクロースを実在の人物としてではなく、二次元キャラのような確立されたキャラと定義すれば、サンタクロースというキャラについて思いを馳せる人の心の中には存在するし