スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2023の投稿を表示しています

ノイズキャンセリングイヤホンで電車接近時のノイズが増幅される。

ノイズキャンセリングイヤホンは定常的なノイズを打ち消すのには効果的だが、そうでないノイズには必ずしも有効ではない。 機種に依存するかもしれないので機種名を記すと、LIBRATONE TRACK+(2nd)である。駅のホームで電車を待っているとき、反対側のホームに列車が到着するときにゴーという音が鳴る。単に列車が接近するだけならドップラー効果で周波数が上がるだけなので、ノイズを逆位相で打ち消すのは容易である。それに対して停車列車は減速しているので周波数が下がっていく。聞こえた音に追随してその逆位相の音を出すと周波数がずれ位相もずれるので、きれいに打ち消せないのではないのだろうかと推測している。低音のゴーという音はもしかして周波数のずれに起因するうなりだろうか。これはノイズキャンセリングのアルゴリズムに依存しているかもしれず、ノイズキャンセリング性能を売りにしている他社製品では発生しない現象なのだろうかと思うものの、実機で確認できていないのでわからない。 きれいに逆位相の音を当てるのがそんなに簡単なことではないとすると、それではなぜ定常的なノイズを打ち消せるのだろうかと不思議に思えてくる。任意の波形に追随して短時間に逆位相の音を当てるのは難しそうなので、もしかしてフーリエ変換して様々な周波数の正弦波に分解して、それぞれに逆位相の音を当てた上で逆フーリエ変換して出力しているのだろうか。これならタイムラグがあっても同じ周波数の正弦波でしかないので、簡単に打ち消せそうに見える。 低音のノイズを簡単に打ち消せる一方で人の話し声が消えないのは、消えると却って不便という機能上の要請もあるかもしれないが、人の話し声は波形が一定しないので逆位相の音を当てるのが難しいという技術的な制約なのかもしれない。

性自認に関する素朴な疑問

肉体は男性だけれども性自認は女性だという人は、どうしてステレオタイプ的な女性を演じようとするのだろう。仮に性自認が女性だとしても、なぜ髪を伸ばすのだろう、なぜスカートを履くのだろう、なぜ女性の体を美しく見せるための技法を男性の体に無理やり当てはめようとするのだろう、なぜ女性用の更衣室や浴室を使おうとするのだろう、なぜ女性用のトイレを使おうとするのだろう。 本来、自分の体を使ってどのように表現するかは各人の自由であるが、そうはいっても身体は少なくとも顕在意識レベルでは与件なので、その体を美しく見せるような表現を選ぶ傾向がある。通常、おっさんが女装すると、男性と女性の悪い所を組み合わせたようになってしまい、残念ながら似合わない(似合えばもっと表現の幅が広がるのだが)。それは、女性用の服は女性の体の魅力を引き出すように作られており、男性の体の魅力を引き出すようにはできていないためである。 内面の物の考え方は身体を使った表現とはまた別の問題で、見た目が男性であっても女性的な考え方の人もいれば、その逆もいる。それも各人が好きなようにすればよいというだけのことである。男性100%という人も女性100%という人も滅多にいなくて、各人の中で男性的な思考もあれば女性的な思考もあり、その割合が人によって異なるだけのことである。 性別によらず誰を好きになるかも本人の自由。当然のことながら相手も同様に自由なので、双方のニーズがマッチしない限り好きになる以上のことをするのは難しい。同性愛だろうと異性愛だろうと相手の意思を尊重しなければならないのは一緒である。しかし、内面でどのように思おうとそれは本人の勝手。 ラベルは人の本質ではないのだから、ラベルにこだわらずに、自分の好みに応じて自然体で振る舞えばいいのにと思う。 日本人にはあまり実感がないだろうが日本はそういう意味ではなかなか自由な社会なのだが、米国は意外と堅苦しくて、男性はこうあるべき、女性はこうあるべきという強固な価値観が根付いている。米国では男性といえばゴリラみたいなのが尊ばれる(もっとも、ゴリラは自分が一番偉いと思っているので自分のことをゴリラとは思っていない)。「男だったらゴリラになれ、ゴリラに非ずば人に非ず」と言われてしまうと、「ゴリラなんて嫌だ」と思う人がいても無理はない。大抵の人はそこで「ゴリラではなく人間がよい」と思って...

肉体が男性で性自認が女性である人が女性用のスペースを使用することについて

肉体が男性であっても性自認が女性なので男性用のスペースではなく女性用のスペース(共同浴場や更衣室やトイレ)を使いたいという人がいるらしい。一方、女性用のスペースに男性の体を持った人が入ってくるのは嫌だという人もいるようである。あいにくこの状況では利害が対立しているが、いずれも当事者のニーズなので、なるべく双方が困らないような解決策を考えるのが本来あるべき姿であり、それを当事者同士で話し合って決めるのが民主主義である。そのためには当事者の声を集めたり、技術的に可能な解決策を検討したりといった作業が伴う。それに対して、自分と異なる考えだからという理由で当事者の意見を封殺するのは全体主義であり極めて反民主的である。 困ったことに世の中にはいろいろな価値観の人がいて、当事者同士で話し合って平和的に問題を解決したいと望む人もいれば、反対に自分と異なる意見を力づくで押さえつけて自分の都合を押し付けたいという全体主義者もいる。単に争い事が好きで人を攻撃する口実を探し回っている人もいれば、不和を煽るのが好きな人もいるようである。 肉体が何であれ性自認が何であれ、単にニーズが異なる人同士なら共に話し合って解決策を考える余地があるが、価値観が根本的に異なる人とは共存しようがないので黙って離れるしかない。共同浴場を使用することに危険が伴うなら共同浴場を利用しないという選択もある。共用スペースではなくなるべく個室を使うというやり方もある。 争い事が好きでない人が争い事が好きな人と同じ土俵に立つ筋合いはないので、真っ向から相手にせず、なるべく価値観の合う人同士で付き合うようにしていればよい。

ホンダ・フィットのマイナーチェンジ

ホンダ・フィットのガソリンエンジン車の排気量がいつの間にか1.5Lになっていたので調べてみたら2022年10月のマイナーチェンジでパワートレインが変更になったようだった。レンタカーで1.3Lエンジン車に乗ったときには、街乗りでは快適な反面、高速道路ではパワーが無くて追い越し加速が絶望的だった。Bセグメント車ながら1.5Lエンジンを積んでいるヤリスやMazda 2に合わせたのか、1.5Lエンジンになってパワーとトルクに一回り余裕ができたようである。エンジンのパワーやトルクの数字は、フィットがヤリスの性能にマッチさせているのか、ほぼヤリスと同じである。 一方、1.3Lエンジンは圧縮比が13.5もあったのに1.5Lエンジンは圧縮比が10.6しかなく、WLTC燃費が悪化している。おそらくパワー重視の設定にしたのだろうが、ターボがついているわけでもなく、いまどきの自然吸気エンジンにしては低めである。そのせいか、ヤリスの1.5Lエンジン車に比べて15%ほど燃費が悪い。フィットの方が重いのかなと思ったが数字を見る限りでは重量の差は5%程度しかない。マツダ・デミオの日本仕様ガソリンエンジンの排気量を1.3Lから1.5Lに増やした際にもカタログ燃費の数字が悪化したが、エンジン回転数を抑えることができたために実燃費はむしろ向上しているとしたいた。フィットも同様だろうか。 ハイブリッド車もパワートレインが刷新されており、パワーとトルクが向上しているが、こちらは燃費も少々向上している。フィットのハイブリッド車が競合するのは同じサイズで同じくシリーズハイブリッドの日産ノートだろう。カタログ燃費は日産ノートが僅かに劣る程度だが、フィットは高速域でエンジン直結になるので実燃費はフィットの方が優れているのではないか。エンジン出力はフィットの方が大きいが、これは発電専用ではなく高速域で動力用として使うためではないかと推測する。フィットハイブリッドの1.5Lエンジンの圧縮比は13.5とかなり高めだが、これはマツダのSkyactiv-Gやトヨタのダイナミックフォースエンジンと同様に熱効率重視の設計なのだろう。一方日産ノートのエンジンは発電専用なのに圧縮比は12.0しかない。最も熱効率の良い領域でしか使わないのだったらこれでよいのだろうか。