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10月, 2009の投稿を表示しています

EXお出かけ早特

2009年10月21日に、「EXお出かけ早特」が発表された。今までありそうで無かった、冬場の閑散期の土日祝日の集約目的の企画商品である。 3日前までに予約すると、普通車用ではのぞみ普通運賃よりも1000円強安くなり、グリーン車用では、のぞみ普通運賃に1000円から1500円プラスすると、のぞみのグリーン車に乗れる。「週末は空いているからのぞみにもIC早特を開放します」という趣旨なのだろう。普通車用は普通のEX-ICとほぼ同じ値段なのでメリットを感じないが、のぞみのグリーン車に格安で乗れるのは魅力的である。ただし、EX-ICの普通車用運賃よりも2000円以上高いので、既にエクスプレス予約会員であるような常連客にとって、「格安でのぞみのグリーン車に乗れる」かどうかは自明ではない。 設定区間はぷらっとこだまとほぼ同じなので、1時間半余計にかかる代わりに安いぷらっとこだまと、ぷらっとこだまのグリーン車用よりも2000円から3000円高いがのぞみに乗れるグリーン車用との比較になる。時間に余裕がないときに時間を買うと思えば出せない金額ではないかもしれない。どちらも事前購入の縛りがあるが、どのみち週末の観光客向けなので、あとは時間と値段の問題である。 価格設定を見ると、既存のエクスプレス予約会員向けというよりもむしろ、行楽目的で新幹線を利用する人に対してエクスプレス予約の入会を促進するのが目的ではないかと思われる。とはいえ、一旦入会してしまえば実はEXお出かけ早特にはあまりメリットが無かったりするので、とりあえず無難な値段で設定してみて反応を見てみるのだろう。

羽田の国際ハブ空港化は可能なのか

前原国土交通大臣は羽田空港を国際ハブ空港化すると発言して物議を醸している。その是非はともかくとして、そもそも羽田を国際ハブ空港化することは可能なのだろうか。 いくら羽田の滑走路が増えるとはいえ、成田発着のすべての国際線を羽田に移転できるほどの発着枠があるわけではない。たしかに、国内線の発着のピークと国際線の発着のピークとはずれているので、国内線と国際線との両方を運航することによって滑走路の利用効率は上がるだろう。また、貨物専用機の発着を深夜に移せば、深夜以外の時間帯の便数増を減らすことができる。しかしそれだけでは十分ではない。国内線と国際線の便数をほぼ半減する必要がある。 国際線の便数を十分に確保するためには、国内線の便数を減らさざるを得ない。新幹線開業に伴って、青森、富山、小松への便は大幅に減らすことができるだろう。不採算路線を廃止することによっても発着枠を確保できる。しかしこれらの空港への便数はもともと多くないので、さらに発着枠を確保するとしたら、地方空港へのノンストップ便を廃止して、千歳や福岡や関空で乗り継ぐハブオペレーションの導入し、国内のハブ空港への路線をA380で運航することが不可欠になる。北海道各方面へは千歳経由、四国や山陰方面へは関空経由、九州方面は福岡経由、沖縄八重山方面は那覇経由とするのである。乗り継ぎによって所要時間が増大するが、運航頻度が増えるため、待ち時間の減少で相殺される。仮に羽田が国際ハブ空港になるとしたら、そのおこぼれで関西空港が国内ハブ空港になるかもしれないので、大阪府にとってはあながち悪い話ではない。 同様に、国際線についても、少なくとも長距離路線についてはハブオペレーションによって発着枠を捻出する必要があるだろう。国際線のうち、収益力の低い路線は成田に残せばよい。発着料に差をつければ自ずとそうなるだろう。また、ハブ空港での乗り継ぎを好まないなら、不便なのを承知の上で成田からノンストップ便に乗ることもできるだろう。JALがデルタに吸収されれば成田の発着枠を大幅に削減できるだろうから、国際線を羽田に移すこともできなくはないのかもしれないが、あいにく国土交通省はデルタによるJAL吸収には消極的である。国内線でも同様に一部を成田に移転させることができれば楽だが、関空発着の国内線よりも悲惨な状況になるだろうから、こちらは実現可能性がない。...

テレビがつまらなくて何が悪い

普段はテレビなんて全く見ないが、さすがに災害時の情報収集には活用している。インターネットは平時には便利だが、災害時にはアクセスが集中して使い物にならない。 テレビを災害用メディアと割り切ってしまえば、平時のテレビなどどうでもよくなってくる。放送インフラの維持にはお金がかかるので、平時の商売で費用をまかなってくれればありがたい。娯楽の提供が第一の目的でなければ、平時の番組の内容などどうでもよくて、とにかく儲けてくれて、放送インフラの維持の誘因を持ってくれればよい。強いていれば、マスメディアの存在意義はその名の通りマスをコントロールできることにあるので、変に政治的な野心があるよりも、どうでもよい番組を放送してくれる方がありがたい。なまじ有意義な番組が放送されていると、災害時に中断しにくい。くだらない番組を見るような人は電波に従順な人であり、コントロールしやすい人なので、そういう人が日ごろからテレビを見る習慣をつけてくれるとよい。テレビなんてくだらないから見ないなんて言う人はコントロールしにくいので、相手にしなくてもよい。 テレビがつまらないということは、災害報道がないという平和の証であり、むしろ望ましい。平和なときには平和の有難味に気づかないものである。 と考えてみると、一斉に放送できる電波メディアに一定の意義を認めることができるが、地上波と衛星放送を両立させる理由を見出すのが難しい。災害報道くらいなら、衛星放送のチャンネル数で対処できる。現状の衛星放送も埋め草的な側面があって、災害時にこそ真価を発揮しそうに見えるが、災害の多くは局地的なので、地上波のような局地的なメディアの方が扱いやすいのだろうか。災害報道だけならワンセグでも十分なので、ワンセグのみにしてチャンネル数を稼げば容易に多チャンネル化できるが、地域別に帯域を分割するのはあまり効率的でないのだろう。 有線メディアであるケーブルテレビは災害報道には向かないので、娯楽用である。スカパーのようなCS放送も娯楽用だろう。これらは内容で勝負すればよい。実際、アメリカのまともな家庭ではケーブルテレビか衛星テレビがあって当然で、地上波しか見られないのは貧乏人だけである。 一方、災害用と割り切ると、地上波の放送局は過剰ではないか。せいぜい大手が3局くらいあれば対処できそうだが、どうして東京には民放キー局が5つもあるのだろうか...

豊橋駅のうなぎ飯

豊橋駅の駅弁といえば稲荷寿司が有名だが、うなぎ飯というのもある。うなぎといえば浜松というイメージがあるが、実はうなぎの養殖第1位は鹿児島県で、第2位は愛知県である。豊橋には養鰻場があるし、愛知県の鰻の産地として有名な一色からも遠くない。もちろん浜名湖も近い。豊橋は意外にも鰻の産地に近いのである。 そんな豊橋のうなぎ飯だが、ご飯の上に小ぶりな鰻が1匹分のっているだけというシンプルさである。うなぎは冷めても柔らかい。身が薄いがちゃんと鰻の味がする。ご飯の量が意外と多いので、これで1食分になる。残念なのはご飯がべとつき気味なことだが、これは好みにもよるだろう。 昼頃から新幹線ホームの駅弁売り場や、新幹線改札内の待合室等で販売しており、こだまが通過待ちで停車している間に買うことができる。この辺りではこだまは空いているので、周りに気兼ねなく落ち着いて食べることができる。 値段は1050円と高めだが、駅弁にしてはありがちな値段だし、浜松や名古屋の鰻の弁当に比べれば安い。

ガラパゴスケータイはなぜ機能過剰なのか

日本の携帯電話は、機能過剰でユーザーに買い替えを促し、その開発コストを通話料に転嫁するビジネスモデルだと言われている。それでは国際競争力が無いという理由で、ハードウェアと通話サービスとの分離が促進されることになった。たしかにそう言われると尤もらしいのだが、本当にそれだけだろうか。 基本的に、本来の機能で満足していれば、余計な機能を好まないものである。例えば、掃除機にゴミの吸引以外の機能をつけようと思うだろうか。アメリカ人は電話が好きなので、大抵のアメリカ人は携帯電話に通話機能があれば満足する。電話で話すことによってコミュニケーションが完結するので、他のコミュニケーション手段を求めない。スマートフォンなんて使うのはビジネスパーソンとオタクくらいである。ウォークマンだって、音楽を再生する機能は充実しているが、ビデオカメラも歩数計もついていない。ウォークマンはあくまでも音楽を聴くための機器である。関連性の乏しい機能を同一の機器で実装するのは、価格差別としては面白いかもしれないが、どれか1つでも壊れたら使い物にならない以上、あまり効率的ではない。1台で何でもできれば便利かもしれないが、えてしてどれも中途半端になりかねない。 日本の携帯電話がガラパゴス化するのは、もしかしたら日本人が会話によるコミュニケーションをあまり好まないからだったりしないだろうか。また、iPodが純粋な音楽プレイヤーでないのは、もしかしたらアメリカ人は音楽にじっと耳を傾けるのがあまり好きではないからだったりしないだろうか。さほど重要でない機能のために外に持ち出すのは面倒なので、ついでにPDAやその他のコミュニケーション手段としての機能を持たせたがるのではないだろうか。 もともとこの手の携帯機器は生活習慣に根ざしたものだから、国によって仕様が異なるのは当然である。国際標準なんてものがあると思う方がおかしい。たまたま生活習慣が先鋭的でなければマスマーケットを取りやすいだけのことである。日本企業が自国のマーケットを捨てて国際市場で勝負することにあまり意味があるとは思えない。もちろん市場規模は大きくないので、あまりに多くのメーカーが生き残ることはできないが、それは市場の参加者が多すぎるというだけの話であり、統合や淘汰が進み、市場規模に見合った数に収斂すれば特に問題ない。日本市場から淘汰されたメーカーが国際市場に...