日本が少子化するのは子育ての負担があまりにも重いからだといわれる。たしかに共稼ぎで子供を保育園に預けるのも大変となると、子供を産むことを躊躇する人がいてもおかしくない。ではその反対に、一部の女性が熱望するような、子育てに一切コストがかからないだけでなく、子供を産むことの社会的な意義を認められて補助金を貰える社会があるとしたらどんな社会だろうか。
妊娠したら公費で運営される産婦人科で受診できて費用はすべて公的負担。出産したら子供と対面することなく子供は隔離され、補助金をもらって退院。補助金には出産期間中の休業補償も含まれる。あとは子供がいない家庭と同様に過ごす。出産間近の期間のみ休業が必要だが、休業に対しては国から金銭的に補償されるので、経済的には男性と比べて不利にはならない。
子供は国の宝なので、国によって責任を持って育てられる。生まれてすぐに親から隔離された子供は公営の保育施設で育てられ、小学校、中学校、高校と全寮制の学校で過ごし、養育費と教育費はすべて公的負担。教育費用を公費で負担するのは、国民が教育を受けることが社会全体にとって利益になるため。大学から先の進学には個人による適性の差があるため、学業成績次第で奨学金を獲得する前提で進学することになる。
これらを実現するための費用をどうやってまかなうかといえば、当然税金に決まっている。高福祉と高負担は車の両輪だが、それでも北欧のような高福祉高負担の社会は国民の満足度が高い。
高い税金を払うためにはそれに見合った収入が必要である。税金を払えるだけの高収入の職に就ければ、子育てに関するコストをすべてお金で解決できるので、仕事の能力の高い人は一時的な出産のブランクを除けば存分に能力を発揮できる。子供を産むのが嫌な人だって、きちんと税金を払っていれば社会全体で子供を持つための金銭的な貢献になる。子供を育てることに適性のある人なら、公費で運営される保育施設や学校で働く選択肢がある。子供がたくさん生まれる社会では子供を育てる職は潤沢にある。男性が子育てをしたってよい。ではそういった仕事で高い収入を得られない人はどうなるかというと、子供を産めば補助金を貰えるので、子供を産むことでお金を稼がざるを得ない。それでも子供を産むという選択肢の無い男性よりは経済的に恵まれているといえる。
すべての女性にとって子供を育てることのコストが発生しないので社会全体として出生数が増えるだろうが、その中でも子供を産むことに比較優位のある層が発生し、その層から生まれる子供が増え、社会の大勢を占めることになる。しかしもともと高学歴の女性ほど晩婚化の傾向があり出生率も低いので、社会全体で出生率が底上げされる方がまだ望ましいだろう。
冒頭で、「子供が生まれたら親と対面することなく隔離される」と書いたのは、親世代の格差が子供世代に引き継がれないようにするためである。人間社会の悪しき問題は大抵育った家庭環境の劣悪さで説明できる。高所得高学歴の家庭であっても家庭環境の劣悪さとは無縁でない。欲求不満の親からいびられて育って子供は同様に人をいびるようになる。どんな悪人だって、赤子のときから悪人だったわけではない。生まれ育った環境が悪くて成り行きでそうなってしまったに過ぎない。家庭環境の悪さは再生産されるので、生まれた家庭によって人生でハンディキャップを課されないよう、同じスタートラインで皆と一緒に育てられることに意味がある。親の経済力や家柄といったものに頼らず、自分の実力で自らの人生を切り拓くことになるし、親からの過大な期待によってプレッシャーを受けることもない。
子育てが家庭から切り離されると、子供のために遺産を残す動機が無くなる。たとえ遺産が残っても相続人がいなければ国庫に納まるだけである。そのような遺産も公費で子供を育てるための原資になる。そもそも税金が高くなるので遺産を残せるだけの余裕も乏しくなる。また、女性にとっては子育て期間中に扶養してもらったり子供を扶養するための資金を確保する必要がなくなるので、経済的な理由で不本意な結婚生活を我慢する必要がなくなる。一方、男性にとっては結婚相手の子供が誰の子供であっても自分には直接関係なくなるので、結婚という制度によって女性を囲い込む動機がなくなる。制度としての結婚が意味をなさなくなるので、結婚という形を取らずに一緒にいたい相手と一緒にいたいときだけ一緒にいて、一緒にいたくなくなったら互いに別れるようになるだろう。
こうなると子供が増えるだろうし、生まれてきた子供はきちんと教育を受けてよき稼ぎ手になってくれるだろうから、子供を育てるための費用を税金という形で負担しても人口ボーナスを享受できることで全体としては改善するのではないだろうか。
妊娠したら公費で運営される産婦人科で受診できて費用はすべて公的負担。出産したら子供と対面することなく子供は隔離され、補助金をもらって退院。補助金には出産期間中の休業補償も含まれる。あとは子供がいない家庭と同様に過ごす。出産間近の期間のみ休業が必要だが、休業に対しては国から金銭的に補償されるので、経済的には男性と比べて不利にはならない。
子供は国の宝なので、国によって責任を持って育てられる。生まれてすぐに親から隔離された子供は公営の保育施設で育てられ、小学校、中学校、高校と全寮制の学校で過ごし、養育費と教育費はすべて公的負担。教育費用を公費で負担するのは、国民が教育を受けることが社会全体にとって利益になるため。大学から先の進学には個人による適性の差があるため、学業成績次第で奨学金を獲得する前提で進学することになる。
これらを実現するための費用をどうやってまかなうかといえば、当然税金に決まっている。高福祉と高負担は車の両輪だが、それでも北欧のような高福祉高負担の社会は国民の満足度が高い。
高い税金を払うためにはそれに見合った収入が必要である。税金を払えるだけの高収入の職に就ければ、子育てに関するコストをすべてお金で解決できるので、仕事の能力の高い人は一時的な出産のブランクを除けば存分に能力を発揮できる。子供を産むのが嫌な人だって、きちんと税金を払っていれば社会全体で子供を持つための金銭的な貢献になる。子供を育てることに適性のある人なら、公費で運営される保育施設や学校で働く選択肢がある。子供がたくさん生まれる社会では子供を育てる職は潤沢にある。男性が子育てをしたってよい。ではそういった仕事で高い収入を得られない人はどうなるかというと、子供を産めば補助金を貰えるので、子供を産むことでお金を稼がざるを得ない。それでも子供を産むという選択肢の無い男性よりは経済的に恵まれているといえる。
すべての女性にとって子供を育てることのコストが発生しないので社会全体として出生数が増えるだろうが、その中でも子供を産むことに比較優位のある層が発生し、その層から生まれる子供が増え、社会の大勢を占めることになる。しかしもともと高学歴の女性ほど晩婚化の傾向があり出生率も低いので、社会全体で出生率が底上げされる方がまだ望ましいだろう。
冒頭で、「子供が生まれたら親と対面することなく隔離される」と書いたのは、親世代の格差が子供世代に引き継がれないようにするためである。人間社会の悪しき問題は大抵育った家庭環境の劣悪さで説明できる。高所得高学歴の家庭であっても家庭環境の劣悪さとは無縁でない。欲求不満の親からいびられて育って子供は同様に人をいびるようになる。どんな悪人だって、赤子のときから悪人だったわけではない。生まれ育った環境が悪くて成り行きでそうなってしまったに過ぎない。家庭環境の悪さは再生産されるので、生まれた家庭によって人生でハンディキャップを課されないよう、同じスタートラインで皆と一緒に育てられることに意味がある。親の経済力や家柄といったものに頼らず、自分の実力で自らの人生を切り拓くことになるし、親からの過大な期待によってプレッシャーを受けることもない。
子育てが家庭から切り離されると、子供のために遺産を残す動機が無くなる。たとえ遺産が残っても相続人がいなければ国庫に納まるだけである。そのような遺産も公費で子供を育てるための原資になる。そもそも税金が高くなるので遺産を残せるだけの余裕も乏しくなる。また、女性にとっては子育て期間中に扶養してもらったり子供を扶養するための資金を確保する必要がなくなるので、経済的な理由で不本意な結婚生活を我慢する必要がなくなる。一方、男性にとっては結婚相手の子供が誰の子供であっても自分には直接関係なくなるので、結婚という制度によって女性を囲い込む動機がなくなる。制度としての結婚が意味をなさなくなるので、結婚という形を取らずに一緒にいたい相手と一緒にいたいときだけ一緒にいて、一緒にいたくなくなったら互いに別れるようになるだろう。
こうなると子供が増えるだろうし、生まれてきた子供はきちんと教育を受けてよき稼ぎ手になってくれるだろうから、子供を育てるための費用を税金という形で負担しても人口ボーナスを享受できることで全体としては改善するのではないだろうか。