昔から、ちょっと殺人事件が世間を賑わすたびに「最近は物騒な殺人が増えている」という感想を言う人がマスメディアに出てきて、それに対して「戦後の日本の殺人件数は一貫して減少している」というデータを出して反論してくる人が出てくる。それに対して「はいそうですか、実は殺人は減少しているのですね」と人々が納得するかというとそうはならなくて、似たような殺人事件が発生するたびに同じような議論が繰り返される。
「マスコミはミスリードしている」とか「そんなマスコミにミスリードされる人はメディア・リテラシーが無い」と言うこともできるかもしれないが、もしかしたら人々がそのように感じるのには何か理由があるのかもしれない。存在するものが100%正しい保証は無いが、100%間違っているとも限らない。むしろ、「実際の殺人件数が減少しているにも関わらず、なぜ人々は殺人が増えたと感じるのだろうか」という問いを立てる方が建設的だろう。
そもそも何を以て「殺人が増えた」とか「減った」とか言うのだろう。客観的には件数とか死者の数であり、「事実と論理によって議論するならそれしかない」と思っている人もいるようだが、人々がどう感じるかという主観は必ずしも件数や死者の数だけによって影響されるとは限らない。例えば、殺人の絶対数がたとえ多くても、戦争や空襲で膨大な数の人が亡くなった時期には、人々は殺人どころの騒ぎではなくて、あまり気にしないかもしれない。また、日常的に殺人が発生する危険な地区では殺人はさほど大きく取り上げられない反面、安全な地区で殺人が発生すればたとえ数年に1件であっても大騒ぎになる。
あるいは、貧しい国では命が粗末にされる一方で、豊かな国では命の値段が高いから、命の値段を積み上げることで失われた命の価値を推定したら、もしかしたら失われた命の価値は増加しているのかもしれない。たとえ殺人の件数が減少傾向にあっても、それ以上のスピードで命の値段が上がれば起こりうることである(反対に、たとえ殺人件数が増えていても、命の値段がそれ以上のスピードで下がれば、失われた命の価値は減少するだろう)。
もっと単純な話としては、単にマスコミが殺人を記事にする頻度によっても影響されるかもしれない。しかしここで気をつけなければならないのは、マスコミが殺人を取り上げるのは原因なのか結果なのかということである。確かに、人にはマスコミに影響される側面もある一方で、マスコミだって取り上げる価値があると思っているものを取り上げるだろうから、むしろマスコミが殺人を取り上げる件数や行数を以て人々の主観の代理指標とするアプローチもあるだろう。これはどの程度マスコミを信用するかにもよるもので、「マスコミは勝手なことを書き散らす」と思っていればマスコミの取り上げ方は人々の主観に影響を及ぼす要因と捉えられるだろうし、反対に「マスコミは民意を代表している」と思えば人々の主観の代理指標と捉えられるだろう。
定性的にはいくつか思い当たる節があるが、これを定量化するとなるとなかなか難しい。まず、殺人の影響度に関する主観を代表する変数を決める必要がある。マスコミの取り上げ方を代理指標として使わない場合には、別途意識調査をして「最近殺人が増えていると感じるか」みたいに尋ねてみる必要があるが、意識調査は実施するためには金銭と時間と労力が必要だし、意識データはその数字が単独で意味を持つことはなくて、相対的な変化のしかたのみが意味を持つので変数を加工する上で注意が必要である。
それから、被説明変数がどのような要因によって決まるかを、いくつかの説明変数を用いて推定する必要がある。最終的に「人々が殺人が増えたとか減ったとか感じる主観の何割かはこういう要因によって決まり、もう何割かはこういう要因で決まる」と説明できれば便利である。その推定データをマスコミでの殺人の取り上げ方と比較して、「マスコミがどの程度民意を代表しているのか、どの程度人々をミスリードしているのか」を推定してみたりできるだろう。
「命の値段」を説明変数に入れる場合には、そのもとになる命の値段の推定値のデータを入手する必要がある。日本の民事訴訟や保険の世界では「命の価値」は「死ぬことによって失われた収益(=所得-経費)」と定義されているが、これは人によって異なるし、たとえデータとして存在しているとしても公表されたデータでなければ利用できない。別の推定のしかたとしては、「死亡確率を1%減らすことができるときに人はいくらお金を出して良いと考えるか」というものがある。これは「安全対策にどの程度投資しているか」と「事故発生件数」とを突き合わせたり、「医療にどの程度お金を掛けているか」と「病気での死亡件数」を突き合わせたりすることで推定することができる。ただし、これを推定するのはそれ自体かなりの手間なので、既存の推定結果を利用するのがよいだろう。
「安全な地区と危険な地区とで殺人のインパクトが違う」というのを取込みたかったら、実際の殺人発生件数の変化率を取ってみるとよいかもしれない。恒常的に殺人が発生している場合には変化率は0に近いが、たまにしか殺人が発生しない場合には、殺人が発生した時点で変化率が大きくなる。ただし、殺人が発生した後で変化率が急減する部分の影響は取り除いた方がよいだろう。技術的な工夫が必要な箇所である。もっとも、日本のデータで推定するとなると安全な地区と危険な地区との間に極端な差が無いので、取り込んでもあまり意味が無いかもしれないし、そもそも地域別殺人件数データなんて都道府県単位でしか取れないだろうから、安全な地区と危険な地区に分けたデータ自体が存在しないかもしれない。
推定に推定を重ねて得た数字は「殺人件数」のようなシンプルなデータに比べると信頼度が劣るが、だからといって殺人件数だけで議論してばかりでも物事の重要な側面を見落とすかもしれない。
「マスコミはミスリードしている」とか「そんなマスコミにミスリードされる人はメディア・リテラシーが無い」と言うこともできるかもしれないが、もしかしたら人々がそのように感じるのには何か理由があるのかもしれない。存在するものが100%正しい保証は無いが、100%間違っているとも限らない。むしろ、「実際の殺人件数が減少しているにも関わらず、なぜ人々は殺人が増えたと感じるのだろうか」という問いを立てる方が建設的だろう。
そもそも何を以て「殺人が増えた」とか「減った」とか言うのだろう。客観的には件数とか死者の数であり、「事実と論理によって議論するならそれしかない」と思っている人もいるようだが、人々がどう感じるかという主観は必ずしも件数や死者の数だけによって影響されるとは限らない。例えば、殺人の絶対数がたとえ多くても、戦争や空襲で膨大な数の人が亡くなった時期には、人々は殺人どころの騒ぎではなくて、あまり気にしないかもしれない。また、日常的に殺人が発生する危険な地区では殺人はさほど大きく取り上げられない反面、安全な地区で殺人が発生すればたとえ数年に1件であっても大騒ぎになる。
あるいは、貧しい国では命が粗末にされる一方で、豊かな国では命の値段が高いから、命の値段を積み上げることで失われた命の価値を推定したら、もしかしたら失われた命の価値は増加しているのかもしれない。たとえ殺人の件数が減少傾向にあっても、それ以上のスピードで命の値段が上がれば起こりうることである(反対に、たとえ殺人件数が増えていても、命の値段がそれ以上のスピードで下がれば、失われた命の価値は減少するだろう)。
もっと単純な話としては、単にマスコミが殺人を記事にする頻度によっても影響されるかもしれない。しかしここで気をつけなければならないのは、マスコミが殺人を取り上げるのは原因なのか結果なのかということである。確かに、人にはマスコミに影響される側面もある一方で、マスコミだって取り上げる価値があると思っているものを取り上げるだろうから、むしろマスコミが殺人を取り上げる件数や行数を以て人々の主観の代理指標とするアプローチもあるだろう。これはどの程度マスコミを信用するかにもよるもので、「マスコミは勝手なことを書き散らす」と思っていればマスコミの取り上げ方は人々の主観に影響を及ぼす要因と捉えられるだろうし、反対に「マスコミは民意を代表している」と思えば人々の主観の代理指標と捉えられるだろう。
定性的にはいくつか思い当たる節があるが、これを定量化するとなるとなかなか難しい。まず、殺人の影響度に関する主観を代表する変数を決める必要がある。マスコミの取り上げ方を代理指標として使わない場合には、別途意識調査をして「最近殺人が増えていると感じるか」みたいに尋ねてみる必要があるが、意識調査は実施するためには金銭と時間と労力が必要だし、意識データはその数字が単独で意味を持つことはなくて、相対的な変化のしかたのみが意味を持つので変数を加工する上で注意が必要である。
それから、被説明変数がどのような要因によって決まるかを、いくつかの説明変数を用いて推定する必要がある。最終的に「人々が殺人が増えたとか減ったとか感じる主観の何割かはこういう要因によって決まり、もう何割かはこういう要因で決まる」と説明できれば便利である。その推定データをマスコミでの殺人の取り上げ方と比較して、「マスコミがどの程度民意を代表しているのか、どの程度人々をミスリードしているのか」を推定してみたりできるだろう。
「命の値段」を説明変数に入れる場合には、そのもとになる命の値段の推定値のデータを入手する必要がある。日本の民事訴訟や保険の世界では「命の価値」は「死ぬことによって失われた収益(=所得-経費)」と定義されているが、これは人によって異なるし、たとえデータとして存在しているとしても公表されたデータでなければ利用できない。別の推定のしかたとしては、「死亡確率を1%減らすことができるときに人はいくらお金を出して良いと考えるか」というものがある。これは「安全対策にどの程度投資しているか」と「事故発生件数」とを突き合わせたり、「医療にどの程度お金を掛けているか」と「病気での死亡件数」を突き合わせたりすることで推定することができる。ただし、これを推定するのはそれ自体かなりの手間なので、既存の推定結果を利用するのがよいだろう。
「安全な地区と危険な地区とで殺人のインパクトが違う」というのを取込みたかったら、実際の殺人発生件数の変化率を取ってみるとよいかもしれない。恒常的に殺人が発生している場合には変化率は0に近いが、たまにしか殺人が発生しない場合には、殺人が発生した時点で変化率が大きくなる。ただし、殺人が発生した後で変化率が急減する部分の影響は取り除いた方がよいだろう。技術的な工夫が必要な箇所である。もっとも、日本のデータで推定するとなると安全な地区と危険な地区との間に極端な差が無いので、取り込んでもあまり意味が無いかもしれないし、そもそも地域別殺人件数データなんて都道府県単位でしか取れないだろうから、安全な地区と危険な地区に分けたデータ自体が存在しないかもしれない。
推定に推定を重ねて得た数字は「殺人件数」のようなシンプルなデータに比べると信頼度が劣るが、だからといって殺人件数だけで議論してばかりでも物事の重要な側面を見落とすかもしれない。