学校教育が良くないのは、子供を学校に隔離して大人の仕事を見る機会が与えないことである。学校の中で身近に仕事をしている大人は教師しかいないが、教師というのは仕事をしている大人の見本としてはあまり良くない(「あまり良くない」というのは「悪い」の丁寧表現である)。
本来ならば、普段から大人が仕事をしているのを間近に観察して、その中で興味のある仕事があれば話を聞いて教えてもらい、そういう経験を積みながら自分の仕事を選んでいくのが一番良い。学校には学校の役割があるだろうから、昼間に学校で勉強することを認めるとしても、せめて放課後くらいは大人が仕事をしているのを見た方がよいのではないか。部活なんかやっても子供と教師にしか接する機会がない。
しかし、学校には兵士を養成する軍隊および監獄としての機能と、親に手間をかけさせないための託児所としての機能が求められているので、親も教師も放課後に子供が自由に動き回ることを良しとしない。子供を自由にしたら盛り場に出て悪い大人にそそのかされてヤクザになるくらいにしか思っていない。悪い大人にそそのかされることなく学校で勉強して大学を出ていい会社なり役所なりに入ることを子供に期待している。「子供元気で留守がいい」という考え方で、とにかく時間を拘束して体力を消耗させて余計なことを考えないように仕向ける。
実際には、子供のすべてが将来ヤクザになるわけではないし、むしろ大半の人はヤクザにはならない。そもそも大半の人は夜の盛り場になんて行こうとしないし、仮に行くとしても危なそうな人達には近づかない。逆にヤクザになるような人は学校で勉強し続けることをよしとせず、学校に行かずに結局ヤクザになるのだから、学校に隔離しようとしても無駄である。働いている大人を悪い人だと決めつけるのは教師の仕事しかしたことのない教師の偏見である。教師が一体何様のつもりなのか。自分で物を作れる人や手を動かして価値を生み出せる人達を蔑んで、自分で物を作らない人達をもてはやすなんて教育に良くない。
そうやって仕事をしている大人を見かけることがないまま卒業前に就職活動を始めると、ものすごいプレッシャーにさらされたり、変なマナーを吹き込むそれこそ本当に悪い大人に振り回されたりして、運が悪いとブラック企業に入ったりしてしまうのだが、実際に会社で働いている人達は、毎日の仕事で堅苦しいのは嫌だし、根詰めて働けば疲れるし、たまには息抜きだってしたいし、調子の良いときもあれば調子の悪いときもあるし、やる気の出るときもあればやる気の出ないときもあるような、生身の人間である。実際に仕事をしている人達を見ればそういうのは容易に見て取れるので、その職場がまともな職場かまともでない職場なのかは肌感覚でわかる。実際に仕事をしている人達は黒いリクルートスーツなんて着ていないし、就職活動する子らに黒いリクルートスーツを着ることなんて求めていない(もっとも、普通のスーツの方が着こなすのが難しいので、スーツに不慣れな子にとっては黒いリクルートスーツの方が楽なのかもしれないが)。
そうはいってもサラリーマン家庭の場合、働いている親が家庭から隔離されているので、帰宅しても親が仕事をしているのを見る機会に恵まれないのだが、疫病対策でホワイトカラーの在宅勤務が容易になったおかげで、親が実際に仕事をしているのを観察することができるようになった。これは疫病の数少ない成果の一つである。