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JRはそろそろ特急料金をやめてはどうか

JRの運賃は、距離が長くなるにつれてkm当たりの単価が下がる遠距離逓減制である。今や長距離移動には新幹線や特急列車が欠かせないから、長距離では運賃+特急料金となるが、運賃の遠距離逓減をやめて特急料金を廃止すればもっとシンプルな運賃制度になるのではないか。 欧州の鉄道では優等列車への追加料金が不要だが、それでも特に問題ない。長距離輸送は長距離列車、地域輸送は近郊鉄道と分離されており、さらに市街地では地下鉄や路面電車やバスといった地域交通機関がある。日本の場合、近郊鉄道では全員着席のニーズが強いので遠近分離を工夫する必要があるものの、着席のニーズに対しては座席指定券や乗車整理券という形で料金を徴収する余地があるし、遠近分離したければ座席指定料金を定額あるいはそれに近いフラットなカーブにすればよいだろう。 例えば現状でもJR東日本のB特急料金エリアでは50km未満の自由席特急料金が510円、50km~100kmでの自由席特急料金が930円だが、それで十分に遠近分離が図られている。私鉄有料特急の大半は全席指定席で、実質的な着席料金になっている。また、首都圏の普通列車グリーン車や常磐線特急では、既に座席指定を伴わない着席料金制に移行している。新幹線の指定席車や一部私鉄特急でも車内改札をほとんど必要としない仕組が確立している。一方、京阪神や中京地区では料金不要の新快速・快速が長距離移動の主力となっており、特急券廃止を先取りしている。 東京小田原間で普通列車とこだま号とが同じ運賃ならこだま号の方が速くて快適だが、だからといって同区間の通勤客が新幹線に殺到したら捌き切れない。今後は全席指定にするのがよいのではないかと思うものの、過渡期の産物として乗車整理券のようなものが必要になるかもしれない。そもそも新幹線ですら40分かかり在来線普通列車で1時間半もかかる距離を毎日通勤する方がどうかしているのではないかという気がするし、今後日本の人口が減少していけばそのような遠距離通勤も減少するのではないかと推測するものの、すぐにそうなるものでもないので、当面は何らかの需給調整手段が必要だろう。 国鉄時代と今とでは以下のような前提条件の違いがある。 国鉄時代には長距離を通しで走る普通列車が多数設定されており、普通列車で長距離を移動することは珍しくなかった。優等列車に乗るとして...

マイナンバーカードのセキュリティ

マイナンバーは個人を特定する暗証番号である。米国の社会保障番号に類するもので、米国では下4桁を暗証番号として本人確認手段とすることがよくある。 マイナンバー通知カード公布時にマイナンバーカードの案内も同封されていたので見てみると、その暗証番号であるはずのマイナンバーが、マイナンバーカードの裏面に記載されるとある。まるでキャッシュカードやクレジットカードに暗証番号が印字されているようなものではないか。せっかくICチップが内蔵されているので、漏洩したらまずい情報はICチップに格納し、読取機に通して本人が暗証番号を入力するとか指や掌をかざして認証に通ったときに限ってマイナンバーを表示させることができるものだとばかり思っていた。実際、運転免許証には本籍地が印字されておらず、ICカードリーダーにかざして暗証番号を入力したときに限って表示させることができる。 マイナンバーカードは1枚で何でもできて便利だが、それ故にいざ紛失すると不正利用されるリスクが高い。それに対して、本人確認手段が複数に分散していれば、何か1つ紛失してもそれだけでは本人確認できないので、少しはましになる。 クレジットカードにはカード番号が印字されているので、カードを紛失すればカード番号が漏洩するが、クレジットカードの場合は、カード番号+有効期限+サイン、カード番号有効期限+暗証番号、カード番号+有効期限+パスワードのどれかで認証し、単独では認証できないようになっている。漏洩したらまずい情報なら、みだりに表に出さず、かつ認証に必要なパーツを分散させるべきではないのか。他にも生年月日と組み合わせたり、秘密の質問と組み合わせたり、セキュリティ強度を上げる手段はいろいろある。 鍵や財布を紛失しやすい人がマイナンバーカードを持ち歩くと大変なことになるのではないかと心配である。もしかしてセキュリティのプロから見ればセキュリティ強度を少し上げたくらいでは大した差は無いとか、あるいはたとえマイナンバーカードが他人の手に渡っても問題ないように設計されていたりする可能性もあるものの、よく調べていないので、どうしてこういう設計になったのかまだ理解できていない。

書評 沼畑直樹「最小限主義。」

最近話題のミニマリズム本の一つである。ミニマリズムという言葉は最近になって使われ始めたものなので、いろいろな人がいろいろな意味で使っている。本書におけるミニマリズムは、「余計なものを取り去って今この瞬間に感覚を研ぎ澄ますと、絶対的幸福感が残る」というもので、それは第2章に端的に表れている。 本書は共感できる人と共感できない人にはっきり分かれるのではないか。夕日や空を見て美しいと思える人は共感できるだろうし、そうでない人は共感できないだろう。夕日や空を見て美しいと感じるのは理屈ではなく経験に根ざした感覚なので、どんなに言葉を尽くして理詰めで説明しようとしても説明しきれるものではない。気の利いた考察や高尚な教えを自分の外に求める人は失望するだろう。いわば、文字で書かれた写真集のような本であり、そこから何を感じ取るかは各人次第である。 なお、何を見て美しいと感じるかには個人差があるので、言葉尻だけを捉えて「すべての人は夕日を美しく感じなければならない」と捉える必要はない。著者にとってはたまたまそれが夕日だったから自らの経験に根ざしてそう語っているまでのことであり、人によっては清冽な空気の向こうに青く霞む山並を見て似たような経験をするかもしれないし、野に佇む草花に美しさを見出す人や、水路を流れる水を見て美しいと感じる人もいるかもしれない。大切なのは自分が何を経験し、どう感じたかである。 本書における「ミニマリズム」は決して「物を捨てることを目的とする」ものではないし、ましてや「貧乏生活を押し付ける」ようなものでもない。物を捨てることを目的としていないので、「物を捨てる方法」みたいな実践的なノウハウは書かれていない。そもそも、物なんて持ちたければ持てばよいし、持ちたくなければ持たなければよいし、自分のやりたいように自分で決めれば済むことで、他人に物の捨て方を教わろうという発想の方がどうかしている。自分が何を持つかすら人に決めてもらうような人は、本に「死ね」と書いてあったら本に書かれた通りに死ぬのだろうか。 本書におけるミニマリズムはむしろ、余計なものを取り去った後に残る豊潤な時間と空間を味わうものである。「我慢する」のではなく「味わい尽くす」のである。豊潤な時間と空間以外のものがミニマルであるに過ぎない。一見何も無さそうに見える時間や空間も、感...

自動手荷物預け機を使ってみた

羽田発のANAに搭乗した際に機内預け荷物があったので、導入されたばかりの 自動手荷物預け機 を早速使ってみた。 この手の機械の常として有人窓口に比べて圧倒的に空いている。一切待つこと無く空いている機械に到達した。右上にタッチパネル式ディスプレイがあり、その指示に従って操作するだけであり、操作は簡単である。 荷物を置く 2次元バーコードまたはICカードを読み取らせる プリントアウトされたクレームタグを手荷物につける 扉が閉まって荷物が運ばれる プリントアウトされた預り証をもらう Skipの場合には自動チェックイン機に立ち寄るまでもなく、直接自動手荷物預け機で手荷物を預け、あとはセキュリティチェックで搭乗券をプリントアウトするだけである。Skipを利用しない場合には、チェックインして2次元バーコードの印刷されたEチケット控えをプリントアウトしてから、自動手荷物預け機にEチケット控えの2次元バーコードをかざす。株主優待割引を利用する際には、今までずっとオレンジ色の航空券購入端末でチェックインする必要があったが、スクラッチ式の株主優待券ではSkipサービスが利用できるので、チェックインせずに直接自動手荷物預け機を利用できる。 これから全国の空港に導入されるであろうことから、機械にはX線スキャナーが内蔵されているのではないかと想像している。羽田のようにインラインスクリーニングが導入されている空港に自動手荷物預け機を導入しても列が短くなるくらいのメリットしかないが、新千歳空港等のインラインスクリーニングが導入されていない空港では手荷物を預ける前に預け荷物をX線の装置に通す必要があり、その行列がボトルネックになっている。もし自動手荷物預け機の導入によって、インラインスクリーニングが実現すれば手荷物を預ける際の待ち時間が大幅に短縮されるのではないか。 また、この手の自動機械の常として、テレビカメラやセンサーによって遠隔監視しているはずなのだが、テレビカメラがどこについているのか気が付かなかった。機械の前でまごついているうちに係員が駆けつけてくれるのだろうか。

Kindleを使ってみた

Kindleといってもハードウェアではなくソフトウェアの方である。欲しい本があったのだがKindle版でしか流通していないので、思い切ってPC版のKindleをインストールしてからKindle版の書籍を購入してダウンロードした。タブレットを購入しなかったのは、普段タブレットを使う習慣が無いし、大きな画面が必要ならPCのディスプレイの方が大きくて解像度も高いからである。 専用のリーダーが必要とはいえ、矢印キーでサクサク読める。せっかく大きな画面なのに新書本なので1ページ当たりの文字数が少ないため、持て余している。それならばとiOS版やAndroid版のKindleアプリも入れてみた。本体はクラウド上にあるのでクラウドからダウンロードすればどんな端末からでも読むことができる。スマホでもサクサク読める。文字が主体の新書本や文庫本ならスマホサイズで十分だと感じた。しかし、紙媒体と異なり文字データを表示させているだけなので、日本の書籍の装丁を味わうことはできず、あくまでもダウンロードした電子書籍ファイルを閲覧しているだけである。電子書籍フォーマットが異なるものの、青空文庫を専用リーダーで閲覧しているような感じである。Kindle Paperwhiteだともっと質感が高そうで、洋書よりは読みやすそうだが、和書の質感には及ばない。 Kindleが素晴らしいのはかさばらないことである。紙の本だと当然のことながら場所を取るし、あまりにも場所を取りすぎるとじきに処分したくなる。電子データならかさばらないし、しかもKindleで購入した電子書籍はクラウド上に保存されるので、不要になったら一旦削除して、再び読みたくなったときに再度ダウンロードすればよい。一方、電子書籍の弱点は永続性が無いことで、サービスが終了してしまったら読めなくなってしまう。Amazonならサービス終了のリスクは比較的低いものの、Amazonといえども紙媒体のような永続性は無い。しかし紙媒体に永続性があるというのは厳重に保管している場合に限ったことであって、一般人が紙の本を持っていても場所を取り過ぎてしまったらいつか処分することになるし、一般人がいい加減に保管すれば物理的な劣化は避けられない。電子書籍なら少なくとも物理的に劣化することはない。

ThinkPad X1 Carbon用にソフトリムキャップを改造

トラックポイントキャップには「クラシック」「ソフトドーム」「ソフトリム」の3種類がある。ソフトリムが好みなのだが、最近はソフトドームが標準と位置づけられているようで、ThinkPad X1 Carbon用のロープロファイルトラックポイントキャップもソフトドームしかない。かねてからソフトリムのロープロファイルトラックポイントキャップが欲しいのだが、なかなか販売されないので、普通のソフトリムのキャップを改造して装着してみた。 ロープロファイルトラックポイントキャップは高さが通常のトラックポイントキャップよりも2mmほど低いのを除けば、あとは通常のトラックポイントキャップと同じである。それならば、通常のトラックポイントキャップの足を少し切り落として高さを低くすればよいことになる。 そこで切り落とすことにしたのだが、最初はカッターで切り落とそうとしたのだが、トラックポイントキャップは弾力のあるシリコンゴム製なので、カッターでは全然切れない。そこでハサミで一気に切り落とした。ただし、仕上がりがきれいでないとキャップがかしいでしまうので、微調整が必要である。 装着してみると、少々ぐらつくような感じがするのだが、それはソフトリムキャップ特有の感触によるものだろう。指先に小さな力をかけるだけでカーソルが軽快に動くので、だいぶ扱いやすくなった。 尚、今回トラックポイントキャップを取り寄せて気づいたのだが、アイソレーションキーボード向けのトラックポイントキャップは、クラシックキーボード向けのキャップよりも一回り小さくなっている。キャップの高さがキートップの高さと同じになったので、キーと干渉しなように小さくなったものと思われる。ソフトリムのキャップは底面に指を押し付けるというよりもむしろ、縁に力を加えて、テコの原理で小さい力でカーソルを動かす使い方になっている。このサイズになると事実上ソフトドームが標準になるのもある意味仕方が無い。

過剰サービスの欺瞞

日本の接客サービス業は妙な所でやる気を出してしまうので、属人性を排除して誰がやっても同じ品質を確保しようとすべく、サービスマニュアルを作ったりトレーニングを行ったりして、組織全体のサービスレベルの継続的な向上を目指している。組織における仕事のあり方としてはいたって健全で、そういう接客サービスを受けるとそのサービスレベルに感銘を受けるはずなのに、何かがおかしいと感じてしまう。 もしその接客が本心によるものであれば、素晴らしいサービスだと感銘することだろう。しかし大抵の場合、上辺では大層なことをしているように見えても、何か不自然な感じがする。人の気持ちというのは伝わらないようでいて意外と伝わるもので、気持ちと行いとの間にギャップがあるとなんとなく伝わってしまうのである。 自分が幸せでなければ人を幸せにすることはできない。それは特に接客業で顕著で、自然体でない行いを強いられると本人が違和感を感じて、それが相手にも伝わってしまう。ルールを作って行動をコントロールすることはできても、人の気持ちをコントロールすることはできないので、本人の気持ちから離れた行動を押し付ければ押し付けるほど、客を幸せにするような幸せな気持ちから離れてしまう。 接客に問題のある会社というのは往々にして社内に問題を抱えているものである。接客が悪いから業績が悪いのではなく、社内がおかしいから接客が悪くなるのである。客先に出ている人たちを責める前に、管理職やバックオフィスに何か問題が無いか疑ってかかった方がよい。 そもそも人の気持ちなんて人それぞれだし、しかも人の気持ちを直接コントロールすることなんてできないのだから、一律にコントロールしようという品質管理の考え方にそぐわないのではないか。むしろ各人の個性に応じて自然体で接客してくれる方がありがたい。自分の気持ちや行いというのは結局自分自身に跳ね返ってくるものなので、接客サービス業の人を人間扱いしないと、結局自分が人間扱いされなくなる。