子供の頃は動物園に行くと動物が狭い檻に閉じ込められているのを見るにたえなかった。その後、それは人間の勝手な思い込みであることを知った。
野生動物にとって、動物園は若干不自由ではあるものの安全かつ食べ物の心配のいらない空間である。安全であるというのは他の動物に襲われるおそれがないというだけでなく、人間から危害を加えられるおそれがないということである。檻は動物を閉じ込めるだけでなく、人間から動物を守っている。人間の住む場所の近くに住んでいれば生活環境を破壊されるおそれがあるし、あるいは人間に接近すれば武器で襲われたり罠で捕えられて殺されるおそれがある。動物が至近距離で人間を安全に観察できる場所を動物園の他に思いつかない。それはさながらサファリパークにおいて人間が檻のついたバスで移動しながら猛獣を観察するようなものである。
動物にとって人間は奇妙な生き物である。無知なために自然環境を破壊するし、お金のような実体の無い幻を追い求めてたりするし、人間同士で殺し合ったりもする。自然界において通常ならばありえないような現象に満ちている。人間は自らそのことにあまり気づいていないが、動物は人間でないから人間の奇妙な点がよく見える。それでいて人間はなぜか動物を見下していて、自分たちよりも知性が劣っていると思い込んでいる。愚かな者ほど他者は自分よりももっと愚かだと思って見下す傾向がある。
野生動物にとって、動物園は若干不自由ではあるものの安全かつ食べ物の心配のいらない空間である。安全であるというのは他の動物に襲われるおそれがないというだけでなく、人間から危害を加えられるおそれがないということである。檻は動物を閉じ込めるだけでなく、人間から動物を守っている。人間の住む場所の近くに住んでいれば生活環境を破壊されるおそれがあるし、あるいは人間に接近すれば武器で襲われたり罠で捕えられて殺されるおそれがある。動物が至近距離で人間を安全に観察できる場所を動物園の他に思いつかない。それはさながらサファリパークにおいて人間が檻のついたバスで移動しながら猛獣を観察するようなものである。
動物にとって人間は奇妙な生き物である。無知なために自然環境を破壊するし、お金のような実体の無い幻を追い求めてたりするし、人間同士で殺し合ったりもする。自然界において通常ならばありえないような現象に満ちている。人間は自らそのことにあまり気づいていないが、動物は人間でないから人間の奇妙な点がよく見える。それでいて人間はなぜか動物を見下していて、自分たちよりも知性が劣っていると思い込んでいる。愚かな者ほど他者は自分よりももっと愚かだと思って見下す傾向がある。