個人が何をしようと本人の勝手なはずなのに、世の中には「なぜ一人で旅行するのか」をいちいち詮索する人がいるらしい。そういう場面に備えて回答を用意しておいたので、どんどん撃退してほしい。よく考えれば一人で旅行する理由はきちんと存在するのだが、普段一人で旅行する人はそれがあまりにも当たり前なのでいちいち意識しないのではないだろうか。
平たくいえば、「一人で移動しても問題ないくらいに安全である」「旅行とは旅先でお金を使う行為であり、そこには人との接点があるので別に寂しくはない」の2点である。
1.一人で旅行しても問題ない理由
エベレストに登る際に一人というのは危険だろう。エベレストでなくても、一人で冬山に登るのはそれなりにリスクがある。何かあったときに周りに助けてくれそうな人が誰もいなければ命にかかわる問題である。これは旅行に限った話ではなく、鉄道で乗務員がワンマン運転できるのも相応のバックアップ体制があってのことで、例えば飯田線の秘境区間では何かあったときに備えて車掌が乗務している。仕事で危険な場所(例えばガスが充満している所)に立ち入る場合にも必ず複数で行動する。
そこまで極端な状況でなくても、言葉や交通法規や切符の買い方のわからない国で一人で移動するのはリスクなので、そういう状況に対応できる人は限られているだろう。しかし日本人が日本の公共交通機関を利用したり日本の公道を走行したりする際には、助けを求められる人が必要というほど危険ではない。
宿泊の際にも、日本の大手のビジネスホテルチェーンで泊まる程度だったら犯罪の被害にあうことを想定した対策は必要ないし、寝ているときに野生動物に襲われるおそれもない。昔の旅館では一人客が断れれる場面もあったようだが、ビジネスホテルではシングルルーム主体なので一人で宿泊しても問題ない。
一人で車で移動する場合には、一人だと自分で運転し続けなければならないので、複数人で運転を交代する場合に比べて不利ではあるが、米国ならまだしも日本は車移動でそんな長い距離を移動する必要に迫られるほど国土は広くない。高速道路網の発達した欧州では、一人で1日に往復で1000km走るくらいはざらだが、日本では個人が車で1日に600km以上移動する場面なんてそんなに無いのではないか。きちんと休憩を取りながらなら一人でも運転できるので、予め時間に余裕を持たせた行程にすればよい。
昔はカーナビが無かったので知らない道を走る際には助手席の人が地図をもとにナビをできればそれに越したことは無いが、カーナビが無かった時代であっても道に迷ったら車を安全な場所に停車させて地図を見れば済むことである。今ならカーナビがあるし、Google Mapで事前にルートを予習できるので、道を曲がる場所がわかりにくいのでない限り、めったに道に迷うことはない。
何かあった場合の対応についても、国道・県道・市道といった普通の道路なら保険会社のロードサービスやJAFを呼べる。
大きな荷物を持って移動する場合、トイレに行く際やちょっと買物する際に荷物を見てもらえる人がいれば安心だが、日本国内の短期の旅行でそこまで大きな荷物を持つことはない。
西欧はカップル社会なのでレストランやリゾートホテルは2人単位でないと不利だが、日本はカップル社会ではないので単身者でも気軽に利用できる宿泊施設や飲食店に事欠かない。特に単身世帯の多い日本の都市部は単身者にやさしい。レストランは非日常の社交の場だが、一人でいる分には社交は不要で、したがって、敢えてそのような場所に近づく必要はない。
そもそも旅行なんて趣味なのだから、最初から一人で移動しても問題ないような範囲にとどめておけばよい。一人で旅行する人はその程度のことは当然考えている。逆に、一人で旅行したことの無い人は、どこにどういうリスクがあってどう対処すればよいのか知らないから不安なだけかもしれない。
2.一人で旅行しても寂しくない理由
まだ人類が滅亡していないので想像の話でしかないが、もし人類滅亡後の世界で一人で生きていかなければならないとしたら、たぶん寂しいのではないかと思えてくる。しかし実際にはまだ人類は滅亡しておらず、旅先のそこかしこに人はいる。特に日本で公道のあるような所では、完全な無人地帯というのはなかなか無い。さすがに用もないのに話しかけることはないにせよ、旅行の際には旅先でいろいろな形でお金を使うので、人との接点はいくらでもある。相手は商売なので客に対してそんなに変な態度を取ることはないし、日本の治安ならばさほど疑ってかかる必要もない。
むしろ、一人だと寂しいという発想の方がおかしい。寂しいというのは他者を自分と同等の生命体だと受け入れられない際に生じる分離意識に基づく感情である。これは人間に限った話ではなく、動物だって植物だって生命である。群れるのは不安の裏返しである。群れる人が群れない人を攻撃するのも不安の裏返しであり、かつ群れる必要の無いような不安の無い人への嫉妬でもある。一方、精神的に自立した個人は一人でいても不安でないし、不安でないから他人に干渉することもない。そもそも他者の存在をある程度尊重する人は気安く他人に干渉しない。
「せっかく旅行に行くのに、その感動を共有できる相手がいないのは寂しいだろう」というのも余計なお世話で、他人と共有しなければ味わえないような感動なんて所詮その程度のものでしかない。何かあったときに他人と共有しなければ気が済まないというのも不安の裏返しである。自分の気持ちがよくわからないから同質な人に気持ちを確かめなければ気が済まないのだろう。
3.一人で移動する方が楽な理由
これは団体旅行の幹事との対比で考えるとわかりやすい。人の好みは人それぞれなので、各人の好みを尊重しながら意見をまとめるのはかなりの手間である。仲の良い友達やカップルが旅行を機に喧嘩別れすることがあるくらい、同一行程で旅行するというのは大変なことである。成田離婚は当然のリスクである。そういう手間を感じない人は、他人の努力にただ乗りしている人か、あるいは自分の考えを持たない人である。いずれにせよ人としていかがなものだろうか。一度でも自分ですべてアレンジする経験を持てば、他人の世話をせずに済む方が楽であることは火を見るよりも明らかである。旅行なんて趣味で自分の行きたいときに行きたい所に行くものなのだから、自分の好みのみに基づいて行動できる方が楽に決まっている。
複数人で行動する方が安全というのは、いざというときに互いに助け合うことができる場合の話であって、他人に努力にただ乗りするだけの人がいても何の役にも立たないどころかむしろ足手まといなので、安全確保の観点からすれば、そのような人を排除する方が望ましい。
4.「なぜ一人で旅行するのか」と尋ねる人は、もしかしたら一人で旅行できる人になりたいのかもしれない
各人の考えは人それぞれなので一律にこうとは言い切れないが、群れることが当たり前の人は、一人で旅行をするということに興味を持つことすらないはずである。一人で旅行する人に対して興味を持つということは、もしかしたら群れずにはいられないくらい不安な状態から脱却したいと望んでいる可能性も排除しきれない。何かを実現したかったら、できていない人に尋ねるのではなく、できている人に尋ねるべきなので、そういう意味では一人で旅行できている人に尋ねること自体は別段間違っていない。
しかし、不安を払拭するための唯一の方法は自分で経験を積んで知見を蓄積することである。なぜなら不安は無知の裏返しだからである。もちろんいきなり大きなことから始めようとしても無理で、簡単にできる小さなことをこつこつ積み重ねるしかない。遠くに行くばかりが旅行ではない。旅行とは非日常であり、普段通っている道と違う道を通ってみるのだってささやかながられっきとした旅行である。宿を取るノウハウが無くたって日帰りでの旅行ならできる。この程度ならできるだろうと思う範囲でこつこつ経験を積めば、いつの間にか当初想像もできなかった高みに登っているものである。それができないのは最初の一歩を踏み出す勇気の無い人であり、残念ながら機が熟していないのだろう。本当にやりたいことであれば、他人に背中を押してもらうまでもなく、むしろ周りから反対されようとも自分で勝手に動くものである。そうならないうちはまださほど興味を持っていない。
平たくいえば、「一人で移動しても問題ないくらいに安全である」「旅行とは旅先でお金を使う行為であり、そこには人との接点があるので別に寂しくはない」の2点である。
1.一人で旅行しても問題ない理由
エベレストに登る際に一人というのは危険だろう。エベレストでなくても、一人で冬山に登るのはそれなりにリスクがある。何かあったときに周りに助けてくれそうな人が誰もいなければ命にかかわる問題である。これは旅行に限った話ではなく、鉄道で乗務員がワンマン運転できるのも相応のバックアップ体制があってのことで、例えば飯田線の秘境区間では何かあったときに備えて車掌が乗務している。仕事で危険な場所(例えばガスが充満している所)に立ち入る場合にも必ず複数で行動する。
そこまで極端な状況でなくても、言葉や交通法規や切符の買い方のわからない国で一人で移動するのはリスクなので、そういう状況に対応できる人は限られているだろう。しかし日本人が日本の公共交通機関を利用したり日本の公道を走行したりする際には、助けを求められる人が必要というほど危険ではない。
宿泊の際にも、日本の大手のビジネスホテルチェーンで泊まる程度だったら犯罪の被害にあうことを想定した対策は必要ないし、寝ているときに野生動物に襲われるおそれもない。昔の旅館では一人客が断れれる場面もあったようだが、ビジネスホテルではシングルルーム主体なので一人で宿泊しても問題ない。
一人で車で移動する場合には、一人だと自分で運転し続けなければならないので、複数人で運転を交代する場合に比べて不利ではあるが、米国ならまだしも日本は車移動でそんな長い距離を移動する必要に迫られるほど国土は広くない。高速道路網の発達した欧州では、一人で1日に往復で1000km走るくらいはざらだが、日本では個人が車で1日に600km以上移動する場面なんてそんなに無いのではないか。きちんと休憩を取りながらなら一人でも運転できるので、予め時間に余裕を持たせた行程にすればよい。
昔はカーナビが無かったので知らない道を走る際には助手席の人が地図をもとにナビをできればそれに越したことは無いが、カーナビが無かった時代であっても道に迷ったら車を安全な場所に停車させて地図を見れば済むことである。今ならカーナビがあるし、Google Mapで事前にルートを予習できるので、道を曲がる場所がわかりにくいのでない限り、めったに道に迷うことはない。
何かあった場合の対応についても、国道・県道・市道といった普通の道路なら保険会社のロードサービスやJAFを呼べる。
大きな荷物を持って移動する場合、トイレに行く際やちょっと買物する際に荷物を見てもらえる人がいれば安心だが、日本国内の短期の旅行でそこまで大きな荷物を持つことはない。
西欧はカップル社会なのでレストランやリゾートホテルは2人単位でないと不利だが、日本はカップル社会ではないので単身者でも気軽に利用できる宿泊施設や飲食店に事欠かない。特に単身世帯の多い日本の都市部は単身者にやさしい。レストランは非日常の社交の場だが、一人でいる分には社交は不要で、したがって、敢えてそのような場所に近づく必要はない。
そもそも旅行なんて趣味なのだから、最初から一人で移動しても問題ないような範囲にとどめておけばよい。一人で旅行する人はその程度のことは当然考えている。逆に、一人で旅行したことの無い人は、どこにどういうリスクがあってどう対処すればよいのか知らないから不安なだけかもしれない。
2.一人で旅行しても寂しくない理由
まだ人類が滅亡していないので想像の話でしかないが、もし人類滅亡後の世界で一人で生きていかなければならないとしたら、たぶん寂しいのではないかと思えてくる。しかし実際にはまだ人類は滅亡しておらず、旅先のそこかしこに人はいる。特に日本で公道のあるような所では、完全な無人地帯というのはなかなか無い。さすがに用もないのに話しかけることはないにせよ、旅行の際には旅先でいろいろな形でお金を使うので、人との接点はいくらでもある。相手は商売なので客に対してそんなに変な態度を取ることはないし、日本の治安ならばさほど疑ってかかる必要もない。
むしろ、一人だと寂しいという発想の方がおかしい。寂しいというのは他者を自分と同等の生命体だと受け入れられない際に生じる分離意識に基づく感情である。これは人間に限った話ではなく、動物だって植物だって生命である。群れるのは不安の裏返しである。群れる人が群れない人を攻撃するのも不安の裏返しであり、かつ群れる必要の無いような不安の無い人への嫉妬でもある。一方、精神的に自立した個人は一人でいても不安でないし、不安でないから他人に干渉することもない。そもそも他者の存在をある程度尊重する人は気安く他人に干渉しない。
「せっかく旅行に行くのに、その感動を共有できる相手がいないのは寂しいだろう」というのも余計なお世話で、他人と共有しなければ味わえないような感動なんて所詮その程度のものでしかない。何かあったときに他人と共有しなければ気が済まないというのも不安の裏返しである。自分の気持ちがよくわからないから同質な人に気持ちを確かめなければ気が済まないのだろう。
3.一人で移動する方が楽な理由
これは団体旅行の幹事との対比で考えるとわかりやすい。人の好みは人それぞれなので、各人の好みを尊重しながら意見をまとめるのはかなりの手間である。仲の良い友達やカップルが旅行を機に喧嘩別れすることがあるくらい、同一行程で旅行するというのは大変なことである。成田離婚は当然のリスクである。そういう手間を感じない人は、他人の努力にただ乗りしている人か、あるいは自分の考えを持たない人である。いずれにせよ人としていかがなものだろうか。一度でも自分ですべてアレンジする経験を持てば、他人の世話をせずに済む方が楽であることは火を見るよりも明らかである。旅行なんて趣味で自分の行きたいときに行きたい所に行くものなのだから、自分の好みのみに基づいて行動できる方が楽に決まっている。
複数人で行動する方が安全というのは、いざというときに互いに助け合うことができる場合の話であって、他人に努力にただ乗りするだけの人がいても何の役にも立たないどころかむしろ足手まといなので、安全確保の観点からすれば、そのような人を排除する方が望ましい。
4.「なぜ一人で旅行するのか」と尋ねる人は、もしかしたら一人で旅行できる人になりたいのかもしれない
各人の考えは人それぞれなので一律にこうとは言い切れないが、群れることが当たり前の人は、一人で旅行をするということに興味を持つことすらないはずである。一人で旅行する人に対して興味を持つということは、もしかしたら群れずにはいられないくらい不安な状態から脱却したいと望んでいる可能性も排除しきれない。何かを実現したかったら、できていない人に尋ねるのではなく、できている人に尋ねるべきなので、そういう意味では一人で旅行できている人に尋ねること自体は別段間違っていない。
しかし、不安を払拭するための唯一の方法は自分で経験を積んで知見を蓄積することである。なぜなら不安は無知の裏返しだからである。もちろんいきなり大きなことから始めようとしても無理で、簡単にできる小さなことをこつこつ積み重ねるしかない。遠くに行くばかりが旅行ではない。旅行とは非日常であり、普段通っている道と違う道を通ってみるのだってささやかながられっきとした旅行である。宿を取るノウハウが無くたって日帰りでの旅行ならできる。この程度ならできるだろうと思う範囲でこつこつ経験を積めば、いつの間にか当初想像もできなかった高みに登っているものである。それができないのは最初の一歩を踏み出す勇気の無い人であり、残念ながら機が熟していないのだろう。本当にやりたいことであれば、他人に背中を押してもらうまでもなく、むしろ周りから反対されようとも自分で勝手に動くものである。そうならないうちはまださほど興味を持っていない。