青函トンネルが開通するまでは青函連絡船があり、青森までの列車と函館から先の列車とがそれぞれ接続していた。今でも青森函館間にはフェリーが2グループ3社(青函フェリーは2社の共同運航で、津軽海峡フェリーと合わせて3社)就航している。北海道発着のフェリーの中では青函航路が最も利用されている。
では車で北海道に行くときに青函航路のフェリーを使うかというとあながちそうでもない。例えば東京札幌間を移動するときの選択肢は以下の通りである。
- 大洗苫小牧航路(商船三井フェリー)18時間
- 仙台苫小牧航路(太平洋フェリー)15時間
- 八戸苫小牧航路(シルバーフェリー(川崎近海汽船))7時間15分
- 青森函館航路(青函フェリー、津軽海峡フェリー)3時間40分
- 大間函館航路(津軽海峡フェリー)1時間半
このうち大間函館航路は大間港までの道路アクセスが現状ではまだ良くないのであまり利用されておらず、代わりに青函航路がよく利用されている。青森から大間まで車で3時間近くかかるし、八戸から大間まででも3時間かかる。
次に青函航路と八戸苫小牧航路との比較だが、東京から青森までの所要時間と八戸までの所要時間はほぼ同じである。青函航路の場合、函館から陸路の移動が伴うが、函館から苫小牧まで高速道路経由でも3時間半かかるので、トータルの所要時間は八戸苫小牧航路経由の方が短い。
それならば鉄道輸送も青函連絡船経由よりも八戸苫小牧航路経由の方が早くて便利なのではないだろうか。しかも、函館から苫小牧までの所要時間は特急北斗でも約3時間半、現代のコンテナ貨物列車でも4時間かかっているのだから、昔の貨物列車のスピードだったらもっとかかっていただろう。本州側も、東北本線は八戸経由で青森に至るので、八戸青森間では、足の速い701系の普通列車でも1時間半かかる。昔の船は今ほど速くなくてせいぜい15ノットくらいだったので八戸苫小牧間で10時間くらいかかったろうが、青函航路も昔は4時間半かかっていたから、トータルの所要時間ではやはり八戸苫小牧航路経由の方が有利だろう。
ではなぜ実現しなかったかといえば、当時は大きな船を外洋で運用するのが難しかったからではないだろうか。青函連絡船は末期の津軽丸型で8000トン級、戦後の洞爺丸で4000トン弱である。現代の八戸苫小牧航路は9000トン級、大洗苫小牧航路は13000トン級、仙台苫小牧航路は13000トン〜15000トン級である。大きな船なら少々のことでは揺れないし、現代のフェリーにはフィンスタビライザーがついているが、青函連絡船でフィンスタビライザーがついていたのは最末期の十和田丸だけである。外洋で10000トンクラスの船といえば戦前から戦後にかけて横浜シアトル航路に就航していた氷川丸が10000トンクラスである。鉄道連絡用途でこのクラスの船を用いれば相応の運航コストとなってしまい、現実的ではなかったのだろう。それに、昔はGPSもレーダーも衛星電話も無かったのだから、今と比べて外洋を航海するのは難しかっただろう。
青函航路なら航路の半分は比較的安全な陸奥湾内だし、函館港は天然の良港である。それに対して苫小牧西港は1963年に開港した世界初の内陸掘込式港湾であり、それまでは港湾の適地ではなかった。港がなければ船は発着できない。鉄道連絡船だけのために一から港を作るとなると、コストがかかりすぎて現実的ではない。しかしそれでも八戸港と室蘭港は古くからあるし、室蘭港への航路なら苫小牧航路よりもやや陸地に近いが、前述の通り、鉄道連絡のために外洋に大型船を就航させるという発想は無かったのだろう。