地球は球体ではなく実は平面だったという地球平面説が一部の人々の間で支持されているようである。もし本当に地球が平面だとしたら船乗りは苦労しないよなと思いつつ地球平面説がどのようなものか調べてみようと思い立ったが、ガチな人たちの記述を読むと頭がクラクラしそうなので、石井貴士さんがまとめてくださったものを拝見した。
それによると、地球平面説の核心は2つあるようである。
- 地上から見えるものは実はホログラムである
- 地球は平面である
地球は平面であるということを正当化するために「地上から見えるものは実はホログラムなので神はいかようにも見せることができる」というロジックが用いられている。しかしそのロジックを用いれば、実は地球の形状が何であっても「神が尤もらしいホログラムを見せている」と説明できてしまうので、地球が必ず球体であるということは否定できるかもしれないが、だからといって必ずしも地球が平面でなければならない理由にはならないのではないだろうか。なぜなら、もっと複雑な形状を仮定しても、「神が辻褄を合わせてくれているから問題ない」と反駁できてしまうからである。どんな現象も説明できる説明原理は何も説明していないに等しい。となれば、そこから得られる結論は「地球は平面である」ではなく、「もし我々がある種のホログラム世界の中で生きているとしたら、我々は地球の真の形状を知り得ない」ではないだろうか。当たり前を疑うことは有意義だが、それならば「地球は平面である」というある種の人たちにとっての別の当たり前も疑って然るべきである。
仮に地球平面説が支配的な世界で地球球体説を唱えるとしよう。かつての天動説論者は、天動説よりも地動説の方が惑星の運行をシンプルに説明できると主張した。仮に夜空の星がホログラムだとしても、惑星が太陽の周辺を公転しているという理論モデルの方が物事をシンプルに説明できる。他にも、
- 直進する電波は水平線までしか届かないから、水平線よりも遠くにあるものはレーダーに映らない
- 北極や南極よりも赤道付近の方が自転速度が高い
- そこから派生してコリオリの力が発生することから、低緯度から高緯度への空気の動きは西風になり、高緯度から低緯度への空気の動きは東風になる
といったような現象は、実際の地球の形状が何であれ、地球が平面であると仮定するときよりも、地球が球体であり自転していると仮定するときの方がシンプルな説明を与えることができる。シンプルな説明の方が予測力が高く誤差も少ないので、道具としては便利である。たとえ我々が地球の真の形状を知り得ない立場にいるとしても、日々の生活の中でさまざまな現象を説明したり予測したりする必要があるので、実用の道具としてシンプルな説明原理を仮定することはできる。
ある種の説明原理が道具であるということは、それが当座の便宜のために用いられるものであり、より優れた道具があれば新しい道具に置き換えられるということである。その意味において、ある種の道具を使用しているからといってそれが真理であると主張することはできない。翻って、地球平面説は地球球体説を置き換えるに足るような、より説明力と予測力の高い道具なのだろうか。