日本で客車列車が衰退した理由はいくつも挙げられるが、そのうちの一つは、機関車に客車向けのサービス電源を提供する機能が無かったことである。世界的に見て、旅客用機関車が客車にサービス電源を供給するのが常識であり(その代わり機関車を付け替える際にエアコンが止まる)、客車を牽引する機関車にサービス電源提供機能が無い日本の機関車は異質である。
20系客車は全車冷房車という点で画期的な存在だったが、当時の機関車に冷房をまかなえるほどの大容量の電源を供給できる機能が無かった。本来ならば20系客車に合わせてサービス電源を搭載した専用機関車が開発されてもよかったのだが、非電化区間では蒸気機関車が牽引しており、蒸気機関車は大容量の発電機を搭載していない。ディーゼル機関車なら発電用エンジンを搭載すればサービス電源を供給できる。特に電気式ディーゼル機関車なら走行用に発電した電力の一部をサービス電源に振り向ければよいので、さほど機器を追加せずにサービス電源を供給できる。実際、アムトラック等の北米のディーゼル機関車はこの方式である。しかし当時のDF50は電気式ゆえに重量が大きい割に走行用エンジンですら出力が過小で幹線での客車牽引に耐えなかったし、その後本線用機関車としての地位を確立したDD51は液体式なのでサービス電源のためには別途専用の発電機を搭載する必要があった。電気式ディーゼル機関車が本線用に実用化したのはJRになってからのDF200からだが、その時点では客車列車がほとんど消滅していたので、JR九州がななつ星用のDF200を発注した際にも機関車にはサービス電源を持たせず、客車側にディーゼル発電機を搭載する従来の方式を踏襲している。もっとも、機関車にサービス電源を搭載するとただでさえ大きい軸重がさらに大きくなってしまうので、軸重に余裕のある客車側にディーゼル発電機を搭載せざるを得ないという事情もあろう。
客車側にディーゼル発電機を搭載するというのは固定編成を前提とした考え方であり、分割併合を前提にした12系や14系でも固定編成であることに変わりない。しかしそれでは1両単位で増解結する一般型客車には冷房を搭載できない。実際、50系客車は非冷房で落成した。しかしその後しばらくして普通列車の冷房化が進展したので、冷房を搭載できない一般型客車は時代遅れの存在となった。
14系客車の火災事故をきっかけに24系客車が開発された頃にはブルートレイン走行区間はほぼすべて電化されていたのだから(富士の宮崎西鹿児島間はまだDF50が牽引していたが)、電気機関車による牽引を前提に、電気暖房向けの電動発電機(EG)の容量を冷房用に拡大したものを電気機関車に搭載すればよかったのだが、その頃にはなまじブルートレインにディーゼル発電機が普及したいたために、EF65にせよED75にせよEF81にせよ貨物用ベースの機関車しかなく、旅客用電気機関車の新形式を起こす余裕はなかったのだろう。
後から振り返ってみると、日本では蒸気機関車の時代から電車・気動車の時代への変化があまりに急激で、電気機関車牽引の客車列車が時代に取り残されてしまったのだろう。