戦後の旅客用直流電気機関車の歴史をたどると、まずEF58がいて、EF61が18両だけ製造された後はブルートレイン用にEF60の500番台やEF65の500番台P型といった貨物用機関車ベースの機関車が続く。牽引力と定格速度とを両立できたのはEF66になってからだが、これは言わずと知れた高速貨物用機関車である。どうして旅客用機関車が打ち止めになってしまったのだろう。
EF58は定格出力1900kW、定格引張力は10,250kgで、弱界磁定格速度87km/hと、旅客用で高速向けの設計ながら牽引力が不足し、特に編成長の長い東海道線では単機では牽引力が不足していた。
EF58の後継として製造されたのがEF61で、こちらは貨物用のEF60がベースながら、歯車比を下げて弱界磁定格速度を76km/hまで引き上げたのに加え、一般客車の暖房用に蒸気発生装置(SG)を搭載していた。定格引張力もEF58の1.8倍の18,000kgあったので、EF58の重連をEF61単機で置き換えることができた。当初はEF58の代走でブルートレインを牽引することもあったようだが、ブルートレイン牽引用にEF60の500番台が導入されてからはブルートレインを牽引せずに、以降徐々に旅客列車牽引運用を減らしていったようである。
よくわからないのは、なぜすでにEF61がありながら、全界磁定格速度39km/hのEF60後期型ベースの500番台がブルートレイン用に導入されたかである。案の定、高速運転に不向きで、数年でEF65に置き換えられている。EF65が不足したときの代走はEF60の500番台でもなければEF61でもなく、EF58であった。そのEF65とて、山岳路線用のEF64から抑速ブレーキ等の山岳路専用装備を省略した貨物用機関車であり、全界磁定格速度が向上したとはいえ、やはり100km/hでの連続運転では負荷が高い。それは1000番台PF型とて同様である。
もしEF60の後期型をベースに歯車比を下げて高速性能重視にしたEF61後期型(500番台?)を製造していたらもっと長く使えていたのではないだろうか。EF61はEF60の前期型がベースだったのとEF58後継で急行列車と普通列車の牽引が想定されていたことから最高速度95km/hだったが、モーターの出力が向上した分を高速性能に振り向けていたら110km/h運転もできたかもしれない。ブルートレイン専用機と割り切れば蒸気発生器は不要である。蒸気発生器がついていなければ蒸気による車体の腐食もなかっただろう。
実際のEF61は8両が瀬野八本松間の補機に改造され、残りも徐々に旅客運用から離脱していった。EF58が牽引していた急行荷物列車の後継は碓氷峠の本務機のEF62で、66.7パーミルの勾配向けに全界磁定格速度39km/hの低速用機関車だったので東海道線の急行荷物列車牽引には適していなかったが、信越線で余剰が出ていたのと、たまたま蒸気発生装置がついているからという理由で東海道線に回されてしまった。高速向けのEF61だったら無理なく使えていたのではないか。